Remmai's world

伊藤 連梅の世界(シンクロラインアート)

伊藤連梅 先生の作品紹介をすることになったが、もとより浅学非才にして、芸術分野に於いては殊更に無知蒙昧な小生が紹介文を認(したた)めることになり、諸賢に措かれましては、力不足とのご指摘を被るべき処、平にご容赦頂きたく存じ上げます。

扨て、連梅作品から享受する感動とは、作品の持つ「美」と「情動」の乗積であるとの視点から、以下に演繹的に推論してみたい。

 

<シンクロラインアートの技法>

この名称は紹介文を書くにあたり、急遽命名した造語であるが、連梅作品の独特な技法(色彩・線・具象性)が鮮やかに融合した結晶であることから命名した。作品の最大特徴は、書の構成がきまったら、1本の毛筆全体に、字の持つイメージに合う絵の具を複数色つけ、筆の穂先・全体(360度)を用い一気呵成に書き上げる、所要時間は凡そ10秒以内というもので、勿論、同じものは2度と書けない。創作には構想に数日から1ヶ月程度を要し、作成時間数秒とのあまりの乖離が、他の芸術作品とは際立って大きな相違であろう。

用具は書道の羊毛筆・洋紙・水彩絵の具と至ってシンプルなのに対し、書体や書法は複雑な組成となっている。書体は篆書(てんしょ)体(たい)・隷書(れいしょ)体(たい)・楷書(かいしょ)体(たい)・行書(ぎょうしょ)体(たい)・草書(そうしょ)体(たい)・オリジナル体を駆使し、筆脈・運筆・筆圧は「起承転結」「返し」「疎と密」「静と動」「緩と急」「強と弱」「気息の呑吐」を瞬時に融合させる超絶技巧であり、武道に気脈を通ずるものがあることは、当(まさ)に凛冽(りんれつ)の気迫を持った真剣勝負である。

 

ついで乍ら、連梅先生の和墨書で最も得意とする「六朝体(りくちょうたい)」は、素人では到底使えない超柔毛の羊毛(ようもう)筆(ひつ)を用い、男性的で迫力ある力強さは、私が虜になった作風でもあります、墨色は青(せい)墨(ぼく)・茶(ちゃ)墨(ぼく)・漆黒(しっこく)墨(ぼく)・淡(たん)墨(ぼく)・濃(のう)墨(ぼく)を作品によって使い分け、最後に落款(らっかん)を押印するが、この押印位置が作品全体の完成度を左右するといっても過言ではないとのことで、その位置の見極めこそが専門家の所以であり、書と落款の全体的な調和で一幅の作品となる。

 

<書の「美」を構成する要素>

①  流動美   筆脈の激しい瞬発性や持続性の流動美

②  空間美   紙面を引きさく、地との絶妙な調和

③  雄大美   大きく・強く・迫力を感じ、一見したときの衝撃

 

 

 

「美」という命題こそが合理的な過程を経て、最初に定数と変化する可能性が高まり、「情動」の大きさや「不快・嫌悪感」の幅を鑑賞者が自覚し、感覚的に作品の巧劣が自覚できることになります。つまり「美」の構成こそが連梅作品の総合的なインパクトを鑑賞者に与えるのではないでしょうか(後段に論理式で記述)更にメンタルな領域では以下の要素が含蓄されるであろう。

①具象性   文字の持っている意味の表現

②思想性   文字の持つ抽象的・思想的な意味を雰囲気とムードで表現

③構築性   文字は点と線から構成されており、組み合わせにより、表現の自由性・緊張性・伸展性など無限大

 

<感動とは美の関数である>

ユークリッド幾何学では「証明せずとも自明の理」である、たった5つの公理から多数の定理が証明されているように、難解な芸術観をより簡単に理解する手法として、ここでは連梅作品を鑑賞する人の「感動」の関数として擬え(なぞらえ)てみることにします。ある値x に対して,ただ1つの値y が対応するような関係があるとき,この関係を関数といい,一般的にy=f(x)と表します。また,y はx の関数であるといいますが、これを連梅作品に置き換えて表現すると、

y=f(x) ⇒ I=B×E-U

I(感動)=B(美)×E(情動)-U(不快・嫌悪感)

このように感動の大きさは,わずか3つの変数で顕されます。従って、「美的印象」と「情動の振れ」を乗じた値から、「不快感の幅」を減じた値が「感動の大きさ」であることが解ります。つまり「美」という五感の印象が大きい程、「感動」の値が増大することになります。そして、3つの変数は鑑賞する人により、変数の値が夫々に異なることは当然のことであり、更に3つの変数を考察してみると、芸術作品と謂う見地から最も重要な要素は、「美」であるとの論拠は<書の「美」を構成する要素>にて記述したとうりである。

 

<最後に>

ここまで「美」の構造に基づき観察してきたが、連梅作品の持つ「美」に含意される癒し・勇気・希望・郷愁・優しさ・力強さ・・・等々を私なりの理解力で記述してみたが、本来、言葉や文章で表現できない「それそのもの」自体が芸術であり、紹介文の結語に至って、ようやく無謀な試みであったと理解したところである。何はともあれ、「百聞は一見に如かず」の諺にあるように、連梅作品を諸賢の慧眼にて鑑賞されますよう、至情をもってお薦めしたい。

無有亭(むるてい)   小野寺 光

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